2013年 7月24日 志摩・浅海 日系シニアボランティア着任挨拶

「はじめまして」

皆様はじめまして!!  2013年7月より日系社会高齢者福祉の支援要請にて日本人会連合会に赴任いたしました、シニアボランティアの浅海奈津美(あさみなつみ)です。

東京都出身、50代後半、日本では、作業療法士(Terapeuta Ocupacional)として、高齢者専門病院、老人ホーム、高齢者デイサービスなどで働き、その後大学で、高齢者や障害者の在宅生活支援について、作業療法士の卵である学生に教えていました。しかしご高齢の方と接する現場の魅力が捨てがたく、その後今年の3月まで東京の下町、浅草近くの山谷地区(故郷を追われ家族との縁も切れた貧しい元日雇い労働者の高齢男性が住民の6割を占める)にある、ホームレス支援団体所属の小さな訪問介護の会社で働いていました。そこでは、病気や障害のため暮らしに援助が必要となった孤独な生活保護の高齢者を、アパートやドヤ(3畳一間、トイレ風呂共同の安宿)に訪ねて、介護や看護のスケジュールを立てる、ケアマネジャーという仕事をしておりました。訪問途中、自転車をこぎながら、東京スカイツリーが高くそびえていくのを間近に眺める日々でした。

そうしながらも、ぼんやりと、南米の日系社会に関わる仕事ができるといいなあと思い、ラジオのスペイン語講座を聞いたりしていました。昨年秋、思い立ってJICAのボランティア募集の説明会にでかけたところ、たまたまその会場で経験談を話されたのが、私の前々任者のシニアボランティアの監物さん。「楽しく充実した日々だった、また行きたい!」と話される様子にすっかり魅せられ、己の技量もわきまえず応募し、気が付けば現在に至るという訳です。

好奇心旺盛なのだけが取り柄で、北極圏で白熊の肉まで食べましたが、普段の休日は読書や美術館で過ごすのが好きです。この数年、スティールパン(ドラム缶を加工したカリブ海の楽器)を習っていましたが、重くて持ってこれなかったのが残念です。こちらでは、琴にも似たアルパの音色にうっとり、またギターの名手も多いことがわかり、テレビなどで聴きほれています。

今回随行の夫(修―しゅう)についてもちょっとご紹介。この8月に還暦をパラグアイで迎えました。日本刀の鑑賞と試し切り中心の居合道(戸山流三段)の稽古に励んでいます。今回、自分の稽古と日本文化の紹介のため、真剣、模擬刀、木刀を持参しています。日本では丸めたゴザを台に立てて切るのですが、こちらでは腕前をご披露するのに何を切ればよいか目下思案中です。よい案があればお知らせください! 現在はLambaréにある他流派の道場に通わせていただいています。お呼びいただければどこにでも刀持参でかけつけるそうですので、お気軽にお声かけ下さい。

殺伐とした東京から離れ、パラグアイの良いところばかり目に映る二人でが、気候には少々まいっております。そのうち慣れるでしょう。これから2年間、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

「ごあいさつ」 志摩浩一

このたび、JICAより日系社会シニアボランティア(日本語学校教師)として「全パラグアイ日系人教育推進委員会」に配属されました 志摩浩一   と申します。出身地は長野県上田市です。

私は今から25年前になりますが縁がありましてエクアドルで生活したことがあります。現在もそうですがスペイン語もまったく理解できず、何もかもが初めての経験の中で私たち家族(当時は子どもを同伴しておりましたが現在は単身でこちらに赴任しております。)が大過なく過ごせましたことは現地におられた日系の方々に一方ならぬお世話をいただいたからです。サントドミンゴ農場にある板造りの家にもよく泊めていただきました。当時はシャワーだけで湯船に浸かったことなどなかった私たち家族は、そこのお宅でドラム缶の風呂に入れていただきました。このときの爽快感は懐かしい思い出になっています。そんな折、日系の親御さんがふとつぶやいた言葉が私の耳に今も残っています。それは農場で一緒に生活している我が子への思いでした。この子は将来、世界の何処で生きていってもかまわない、それが英語圏であろうがスペイン語圏であろうがかまわない。何処の国でも生きていけるだけの強い子に育てきたつもりだ。しかし一つだけ願うことがある、それは「この子が日本人としての顔を持ち、その自分の顔を変えることができない以上、何としても日本語だけは忘れないでほしい。」と私に話してくれたことです。日本を遠く離れ生活している日系の方が、日本人としての強い自覚を持ち、日本語をいかに大切にしているかを私に教えてくれました。それまでの私は、普段の生活の中で自分が日本人であること、日本語をあたりまえに話すことなど、さほど重要に考えたこともありませんでした。この一時の出来事が、私を日本語教師にいざなうきっかけともなっています。

さらに、私を南米の日系社会でボランティア活動をしてみたいと思わせるきっかけがありました。それも同じ南米での出来事です。街の中で現地の方からよく「お前は何人か。」「お前は中国人か。」とよく聞かれることがありました。いつも「私は日本人だ」と答えましたがそんな時、相手は「そうか日本人か。」と言っていつも親しげに笑顔を見せていました。当時、現地の人たちは日本の国が世界の中の何処にあるのかを知っている人は少なかったように思います。しかし日本の国が何処にあるか知らない人でも日本人がどんな人間なのかを知っている人たちはたくさんいました。現地の人たちが、私が日本人だと知ると、とても親日的であったことは、その国の日系人を見て、尊敬の念や信頼を抱いていたからだと私にも理解できました。しかし「日系人のどんな生き方が」現地の方々に敬の念を抱かせていたのか。その訳まで当時の私には理解できませんでした。私は今回の日系社会ボランティアの活動を通して「この答えを導きたい。」これも私の日系社会ボランティア志願理由の一つです。

せっかく縁あってパラグアイにまいりました、お気軽に声をかけていたき、多くの方々からお話を伺えれば幸いです。今後とも、お世話になりますがよろしくお願いいたします。

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