エステの日系社会

エステの日系社会

この地区への日本人移住の歴史は、旧ストロエスネル移住地への入植から始まります。この移住地は、現在のシウダー・デル・エステ市(以下エステ市)からアスンシオン方面にむかって国道10kmの地点よりイグアス移住地との34km地点までの24kmにわたる地区で、1960年8月22日発令された法令代623号によって創設されたパラグアイ国内務省直轄の入植地として開設され、現在はミンガグアス地区と呼ばれています。1958年10月(法令化前)、このストロエスネル移住地に日本人移住者8家族が入植したことがこの地区における日本人移住の始まりとなりました。現在もこの地区はエステ市の近郊都市として発展しています。

入植当初の移住者はトマトを主体とした蔬菜栽培を手掛け、また、養鶏・肉牛中心に都市近郊型農業を行いました。そして1965年には共同出荷体制をとり、1965年には拓進ジョポイラ農産業協同組合が設立されました。なお、この拓進ジョポイラ農産業協同組合は、隣のイグアス移住地の発展を受けて1970年にイグアス農協と合併し、1994年にはイグアス農業協同組合に改称し現在に至っています。

そして、1970年からはイグアス移住地とストロエスネル移住地からエステ市に進出して、商業を営む移住者が出てきました。1975年にイタイプダム建設が開始されるとエステ市はその労働者受け入れなどにより急激に発展を遂げた為、1980年代にはパラグアイ各地からエステ市への転住者が増え商業・会社員などの日本人が急増し、この地区の日系社会の中心もストロエスネル地区からエステ市へと移り変わっていきました。現在ではミンガグアス地区で営農する農家は数軒となり、エステ市にはブラジル側フォス・ド・イグアスとの交易業や小売業などの商業を中心に、近郊を含めて日本人世帯が数十家族在住しています。

エステ市近郊の様子

参考文献

  • ストロエスネル日本人会30年の歩み「光陰」(ストロエスネル移住地入植30周年記念誌刊行委員会)
  • パラグアイ日本人移住50年史「栄光への礎」(パラグアイ日本人会連合会)

取材および撮影等協力

  • エステ日本人会