ふるさとを離れ、新天地パラグアイへ、長い船旅を経て、夢と希望を抱き着いた移住地は人跡未踏の大森林でした。仮小屋、ランプ生活は厳しいものがありましたが、幾多の困難を乗り越えて、ラ・コルメナはパ国内有数のくだものの里、野菜の主産地となり、戦後移住地は大型機械化による穀倉地帯に姿を変えました。これも日本人移住者の団結心と努力の積み重ねの成果であり、このことを親から子、子から孫へと語り継がねばならない。
他方、パラグアイ日系社会は日本人移住60周年記念事業の一つとして移住資料展示を行いました。以来、日本人会連合会は長期特別事業として「パラグアイ日本人移住資料館」開設の準備を挙げてきておりますが、今般、26年目にしてようやく具体化するに至りました。
パラグアイ日系社会にはラパス、ピラポ、イグアスにそれぞれの移住資料館(史料館)があり、各移住地の歴史が見ることができます。また、エンカルナシオンには日系アイデンティティセンターが開設され、戦後移住者の足跡をデジタル化して映像で見ることできるようになっています。
日本人会連合会としては日系社会全体の移住資料館という位置付けで、戦前のラ・コルメナから戦後の移住地歴史の写真を整理して展示する方針です。
故郷を離れ → 汽車で移住あっせん所へ → 渡航準備 → 出港 → 船上生活
(アマンバイ) 伯サントス入港 → 汽車でパラグアイへ → トラックでジョンソン移住地入植
(ラ・コルメナ) 亜ブエノス・アイレス港着 → 川船でラプラタ河を遡上 → アスンシオンの港着 → 汽車でイビチミの町へ → 牛車で移住地へ
(その他の移住地) 亜ブエノス・アイレス入港 → 汽車でパラグアイに向かう → 汽車を乗せたフェリーでエンカルナシオン市パククアの港着 → パククア収容所で船倉荷物確認 → 荷物を満載したトラックで移住地に向かう
下図を拡大して写真を貼りつける等を考える。
また、次のような写真展示(パネル)も検討する。
- ジャガー剥製のバックに原始林の風景と野生の動物、自然の樹、草花
- 移住資料(生活用品、農具、農機具)のバックに移住地初期の生活、農作業状況写真
- 変わりゆく各移住地・日系社会
- 移住地農業の移り変わり
- スポーツ、日本文化の今日までの歩み
- 日系農協活動の今昔
- 日本語学校の歩み
- 日本の皇族パラグアイ訪問
- 神輿
このほか皆さんのアイディアで写真パネルを増やす。